AIが社会のあらゆる領域に影響を及ぼす中、次なるフロンティアとして注目されているのが、AIの活躍の場をデジタル世界から物理世界に広げるフィジカルAI、あるいはエンボディドAIと呼ばれる領域です。ロボティクスとAIの融合によって、機械が人間や環境と関わる方法を根本から再定義しようとしています。
ブリエは次のように語っています。「フィジカルAIとは、AIとロボティクスが交わる領域を捉える新たな視点です。一昨年には大規模言語モデル(LLM)、昨年はエージェント型AIが注目を集めましたが、その次の大きな潮流です。今や誰もがフィジカルAIの話をしています。」
AIとロボティクスへの継続的な投資
ブリエによれば、キャップジェミニはすでにAIとロボティクスの両分野において長期的な投資を行っており、「3年前には、ロボティクスとの融合を含むAI分野に20億ユーロを投資することを公表しました。これまでに生成AIを含む1,200件以上のAIプロジェクトを手がけています。」
同社にはAI専任の人材が3万人以上、エンジニアリング、産業化やロボティクスの専門家が2万人以上在籍しています。AI Future Labなどの専門ラボで、現在のパラダイムを超えるAIの進化を探求しています。
「私たちは、Liquid Networksと呼ばれる新しい技術に投資しています。これは、将来的にGoogleのトランスフォーマーモデルの進化形となる可能性を秘めたものです」とブリエは説明します。「私たちは、この技術の開発を進めているMIT発のスピンオフ企業、Liquid AIにも出資し、生成AIと同等の能力をはるかに少ないエネルギーで実現することを目指しています。」
ブリエはフィジカルAIを「思考するシステムと行動する機械が交わる領域」と表現しています。目指しているのは、デジタル世界にとどまらず、物理世界で実際に動作し、機能するシステムの実現です。
機械学習からChatGPTへ
AIやロボティクス自体は決して新しい技術ではありませんが、現在は両者の成熟度が極めて高くなっています。ブリエの説明によれば、「AIはこれまでにも何回かの技術的な革新を経てきました。1950年代から1980年代にかけての機械学習、1990年代のニューラルネットワーク、2000年代のディープラーニング、そして2017年のトランスフォーマーモデルの登場などです。中でも最も象徴的な転換点が、2022年11月30日のChatGPTの登場です。」
ロボティクスもまた、大きな進化を遂げてきました。「1960年代のロボット黎明期に始まり、1980年代にはプログラマブルロボット、2000年代にはモバイル技術やセンサー技術、2010年代には協働ロボット(コボット)が登場、現在はフィジカルAIの時代に入っています。今や、AIとロボティクスの両技術が十分に成熟し、現実世界で意味のあるかたちで融合し、環境に応じて行動できる機械の実現が可能になってきています」とブリエは語ります。
この見解にティムも同意を示し、「AIが画像を生成し、テキストを生成するようになったときに衝撃を覚えたのと同じことが、2025年の今まさにフィジカルロボットの分野で起きているように感じます」と語ります。
同氏は、今年だけでも注目すべき事例がいくつもあると指摘します。「例えば、DeepMind社は、ロボットアーム2本で折り紙のキツネを折るという、非常に高度な精密操作を実現しました。北京では21体のヒューマノイドがハーフマラソンに参加し、そのうち6体が完走しています。中国のロボットメーカーUnitree社は、2体のロボットによるボクシングの試合を実演し、互いの動きに反応しながら、倒れても自力で立ち上がる能力を披露しました。そして、Boston Dynamics社の最新ロボットは、側転やブレイクダンスまでこなしています。」
フィジカルAI(エンボディドAI)とは何か
一部ではエンボディドAIとも呼ばれるフィジカルAIについて、ティムはその定義をさらに掘り下げ、AIが物理世界を理解し、そこに関与できるようにする技術だと説明します。「これまでのAIは、カメラやマシンビジョンによって物体を認識・分類する知覚AIから、私たちと共にコンテンツを生成する生成AIへと進化してきました。しかし、生成AIはあくまで文書やソフトウェア、データといったデジタル領域にとどまっています。」
「フィジカルAIが本領を発揮するのは、その能力を現実世界に持ち込んだときです。例えば、物を落とせば映像のフレームの下端ではなく地面まで落ちるということを、物理的な現象として理解できる機械が必要です。物体が他の物体の後ろに隠れても、そこに存在し続けるという常識をAIが理解できることが必要です。」
こうした概念を理解し始めることで、AIはこれまで欠けたままであった「常識的な判断力」を獲得し、私たちの世界で、私たちのルールに基づいて自然に振る舞えるようになると、同氏は指摘します。この変化を後押ししているのが、計算能力の飛躍的な向上、データの豊富さ、そしてアルゴリズムの進化です。
「計算能力は今も指数関数的に伸び続けています。例えば、来年登場予定のNVIDIA RubinのGPUは、わずか数年前のHopper世代と比べて900倍の性能を持ち、総所有コストはわずか3%に抑えられる見込みです。」
エッジコンピューティングの進化
ティムは、エッジコンピューティングの進展にも注目しています。「現在では、わずか100ワットの消費電力で、GPUプラットフォーム上に2ペタフロップスの計算能力を実装できる段階に来ています。これは、バッテリー駆動の機器でも高性能なAIをリアルタイムで動作させるのに十分な性能です」と語ります。
アルゴリズム面では、AIが物理空間を理解・推論するための「世界モデル」の重要性を強調しています。「ロンドンを拠点とする自動運転スタートアップのWayve社 は、この分野で最先端の取り組みを進めています。複雑な環境下でも効率的な自律走行が可能な車両の実現に向けて、大規模な投資を行っています。」
「視覚的推論や強化学習の分野では、言語・画像・映像など複数のモダリティで訓練された大規模言語モデルが、質問応答や推論といったタスクで高い性能を発揮し始めています。また、エージェントが環境との相互作用を通じて学習する強化学習も、実用的な成果を出しつつあります。」
さらに、高精度なシミュレーターの活用も不可欠であると指摘します。「こうしたAIシステムの学習に必要な物理データを、現実世界で収集するのはほぼ不可能に近いため、忠実度の高いシミュレーターが極めて重要なのです。」
手術用画像プラットフォームOmniscia
ティムは、当社が取り組んでいるプロジェクトの一例として、 Omnisciaを挙げています。これは、わずか12ミリ秒で4倍の超解像とリアルタイムの歪み補正を実現する手術用画像プラットフォームです。「これは人間の知覚よりも速い処理速度です。つまり、ロボットが物理的な出来事、例えば転倒を防ぐような動きに、リアルタイムで反応できるということです。」
また、 自律型ドローンの協調飛行の事例にも言及しています。このプロジェクトでは階層的強化学習を活用し、複数のドローンが協調しながら衝突を回避できるマルチエージェントシステムを構築しました。「シミュレーションはうまくいきましたが、実環境に移行すると風の影響など現実ならではの課題が生じ、多くの教訓が得られました」と語ります。
フィジカルAIの革新は、物理世界における技術の進化によっても加速しています。「電気自動車産業は、過去10年でバッテリーコストを80%も削減しました。電動モーターやセンサー技術も大きく進歩しており、中でもコンパクトかつ高効率なソリッドステート式LiDARのようなセンサーが登場しています。」
ティムがフィジカルAIの革新においてヒューマノイドロボットが重要になると強く主張する理由はシンプルです。私たちの生活環境は、人間のために設計されており、ロボットがこの世界で自然に機能するには、人間のような形状と動きが必要になるからです。これまでロボットは、単調・不快・危険な作業に活用されてきましたが、その可能性はまだほんの一部しか引き出されていません。ティムはこう語ります。「ロボットの可能性をさらに広げていくためには、複数の作業をこなし、さまざまな環境に柔軟に対応できることが不可欠です。」
「倉庫物流を例に挙げると、多くの現場では、コンベアから荷物を降ろしてトラックに積み込む作業が、いまだに人手に頼らざるを得ない状況です。冬は極寒、夏は酷暑、そして身体的にも非常に過酷な作業で、人材の定着が難しいのが現状です。この課題に対しては、ロボット技術を活用するスタートアップも取り組んでいますが、このような作業こそ、ヒューマノイド型ロボットに最も適した領域だと考えられます。」
ヒューマノイドロボティクスの社会実装に向けて
ティムは、今後の展望としてより広範な応用可能性を指摘しています。「薬剤師や食品製造の現場では人手不足が深刻です。こうした領域において、ヒューマノイドロボットが役立つ可能性があります。そのような職場の環境は人間を前提に設計されているため、ヒューマノイドが人間の業務を補完する役割に適しているのです。」
専門家の予測によれば、今後10年以内に世界で1,300万体のヒューマノイドが稼働する見込みであり、これは多くの欧州諸国の人口を上回る規模です。市場規模は5兆ポンドに達し、世界の自動車メーカー上位20社の合計売上を超える水準です。しかし、欧州はこの分野で後れを取っており、ティムは次のように懸念を示しています。「ヒューマノイドロボティクスの主要企業の中で、欧州企業は1〜2社だけです。米国と中国が主導権を握っており、欧州が今行動を起こさなければ取り残されることになるでしょう。」
「ロボティクスを国家戦略に含める必要があると感じています。英国のAI戦略は非常に優れていますが、ロボットに関する言及はほとんどありません。今後は、ロボティクスが社会に与える影響も視野に入れた発想の転換が求められます。
2025年は、ロボティクスにとって重要な転換点です。今の意思決定が、今後数十年にわたる技術の進化と社会の方向性を形づくることになるはずです。」




